1.ダントーの歩み
・ 明治18年(1885)、南あわじ市北阿万伊賀野で齠c善九郎ほか3名が資本金1万円で「淡陶社」を
設立。当時はa平焼を継承した食器・花器・玩具等の製造販売を始める。
・ 明治25年にタイルの生産を始め食器・花器等とともに輸出。
・ 明治26年、商法の施行により、日本で2番目の株式会社として「淡陶株式会社」となる。
(1番は「日本郵船」、資本金2万1千円)
・ 明治34年、輸入タイルと同レベルの国産タイルを完成し、我が国の内装タイルの先駆けとなった。
・ 明治41年、淡陶の能勢敬三氏と「不二見」の村瀬二郎磨氏とともに「乾式成形」を完成させる。
成形機による本格的製造に着手。
・ 大正7年(1918年)淡陶の内装用壁タイル専門の福良工場竣工。
・ 大正11年、皇太子殿下(昭和天皇)福良工場にご来場。
・ 昭和11年、福良工場にトンネル窯設立。
・ 昭和17年、技術保全会社の指定を受け、戦時下もタイルの製造と航空機用品(プラグ)・耐火煉瓦の
製造を続ける。(昭和16年、第二次世界大戦始まる。)
・ 昭和22年、管理貿易下の中、タイルの輸出を始める。 資本金450万
・ 昭和24年、資本金2,600万に増資。 大証1部市場に上場。 高松宮殿下淡陶福良工場に来場。
・ 昭和25年、昭和天皇、福良工場にご来場。(便所改造に5万円)
淡陶タイルが硬質から石灰質。
・ 昭和36年、淡陶福良工場が「日本工業規格(JIS)」を認証取得。 宇都宮工場の建設着手。
・ 昭和37年、淡陶福良工場に義宮殿下(現常陸宮殿下)ご来場。
・ 昭和38年、淡陶福良工場が工業標準化実施優良工場として、通産局長賞を受賞。
・ 昭和40年、淡陶福良工場が工業標準実施工場として、工業技術院長賞を受賞。
・ 昭和41年、資本金10億、東証1部上場。
・ 昭和47年、デザインタイルの製造。
・ 昭和51年、創業90周年。 社名を「淡陶株式会社」から「ダントー株式会社」に。
タイルメーカーでは国内1〜2位(伊奈製陶)
2. 福良工場と生産品の製造
3. 製品が出来るまで
・ 生産品 硬質内装陶器タイル
・ 種 類 5寸角、 3.6寸角、 2.5寸角
道具類(片面取、両面取、手摺、竹割、三角、五角等)
・ 陶器タイルは、一度焼締め(素焼)、上釉を掛け焼く、二度焼
・ 製造工程
* 1工程(製坏) 湿式
原石をクラッシャー(破砕機)で3cm以下に粉砕し、フレット(直径約2m の花崗岩の輪)で3mm以下に粉砕し、ミル(直径約1.5mのドラム内側に石張)に玉石(メノウの一種)と原料と水を入れ、2昼夜間回転。
調合タンク(原石は長石、陶石他)に蛙目(粘土)を加え撹拌脱鉄、フルイ(100メッシュ)を掛け、プレスで脱水乾燥し、坏土となる。
* 2工程(成形) 乾式
坏土を再度粉砕し、7%前後の水分調整後、動力ポンス・油圧ポンスで成形。 成形後、タイルに残ったイバリをサンドペーパーで取り、サヤ(耐火の
器)に詰める。
* 3工程 焼締、検査、施釉、本焼
単窯・トンネル窯で焼成。 素焼タイルを全品目と耳(打音)にて検査。 良品のみに施釉。 コベリを取り、サヤに詰め焼成。
* 4工程 検査、梱包
焼成を終えた製品を全品検査。 キズ・色むら・ホシ等、良品を梱包し、
出荷。
4. その他
・ 原料の産地
長石(対馬)
陶石・ろう石(広島勝光山)
蛙目(粘土) (瀬戸地方)
当時はトラックが無く、陸地は馬車。 各港からは船舶。(淡陶では、3隻の船舶を所有。)
・ 販売先
国内各地、貿易(海外) 中国、インド、東南アジア、アフリカ等世界各国
・ 使用箇所
銭湯(ふろ屋)、遊郭、ビル、地下鉄、駅、個人の風呂・台所・便所等
・ 運搬
生産品の運搬は、船舶と馬車。
・ 福良工場の人員
資料がなく不明。(往時、約800人)
・ その他
淡陶福良工場では、自家発電装置があり、停電の心配なし。 また、鉄工・大工・左官・煉瓦工等を従業員として雇用。 売店、食堂、自営消防などが整っていた。
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